当院のご案内
アットホームな雰囲気でお待ちしております。
私たちは患者様を治療するにあたり、いつも次のことを考えています。
・患者様の体の痛みや辛さは本当はどこから出ているのだろうか?
・患者様の症状に対してどんな方法が良いのだろうか?
・私たちは患者様の為に最善の治療を行う努力をしているのだろうか?
これらのことを日々自問しながら患者様に良い治療を提供できるよう心掛けております。
また、患者様が寺尾駅に帰ってきた際に『整骨院に寄って治療してから帰ろう』と思って頂けるアットホームな雰囲気でお待ちしております。
新潟寺尾東接骨院
スタッフのご紹介
-
患者様の記憶に残る西区No.1整骨院
- 松田 愛梨(まつだ あいり)
-
出身地:新潟県新発田市
血液型:B型
趣味・特技:カフェ巡り、買い物
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへお身体のお悩みがあればまず当院にご相談ください!しっかりと治療させて頂きます! 一人一人にあった治療プランを立てそのお悩みを解決しましょう。体のケアだけでなく、たくさんお話をして心のケアも一緒にしていきましょう! すごく院の中はいい雰囲気なので気軽にご来院ください。
施術家になるまでの自分私は小さい時からスポーツや体を動かすことが大好きで、小学校ではミニバス、中、高とバレーボールをやっていました。スポーツをやっていると怪我も多くそんな時にお世話になったのが、柔道整復師の先生でした。先生たちは怪我を治すだけでなく、心のケアもしてくださり、学校でのお悩みや私生活でのお話しをたくさん聞いてくださりました。怪我をしてもスポーツをできているのはこの先生方のおかげだなと思い私もそんな先生たちみたいに人のため役に立ちたいと思い、柔道整復師を目指しました。そこから専門学校に行き、多くのことを学びました。勉強が苦手な自分でしたが、なるために必死に頑張りました。夜遅くまで勉強し、よくカフェに行って勉強していました。友達からわからないことを教えてもらったり、先生方から朝早くに行ってわからないところを教えてもらって多くの知識を入れました。勉強だけでは施術家になることはできず、実技の勉強もしました。 実技のテストがあるのですが、固定、整復、柔道の3つのテストがあり、一から手順を覚え、実際に動作を行うのがすごく大変でした。この3年間で、夢である柔道整復師になるために多くの知識を学ぶことができました。これからは1人の施術家として憧れの先生になるために日々努力していきます。
新人・修行時代の自分新人時代の私は、まず会社のルールを自分に定着させることから始まりました。挨拶の仕方や、院でのルール、パソコン作業や、ベットメイクなど多くのことを覚えるのにすごく大変でした。慣れてないことばかりでしたが周りのスタッフの方に協力してもらい今では仕事がスムーズにできる様になっています。今でも頑張っていることがあります。それは勉強会に参加し学生時代よりも知識をよりつけていくことです。参加することによって、より院をよくしていける仕組みだったり社長の考えを学ぶこと、成功している先生方の技術を学ぶことによってまた違った自分になれています。後は休み時間、仕事終わりの時間を利用してスタッフ同士で技術、問診練習をしたことです。上司の先生方の時間を使わせていただき、良い技術を身につける様に努力しました。苦手なところを徹底的に練習し、後はタイマーを利用し時間を計りながら、より短い時間で良い施術ができるように練習をしていました。 私の中でPOP作りもすごく頑張っていたことの一つです。空いた時間を利用し、どれだけ人の目につくPOPを作れるかって言うところを意識し作っていました。初め新人時代よりも今は少しは描ける様になったと思います!
-
患者様の記憶に残る西区ナンバーワン接骨院
- 岩城 愛彩(いわき ありさ)
-
出身地:新潟県新潟市
血液型:B型
趣味・特技:ショッピング、映画鑑賞
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへ当院のスタッフは優しくて明るくて真剣な人ばかりです。お身体のお悩みがある方はぜひ気軽に当院へお越し下さい。一人一人にあったオーダーメイドの施術で患者様を笑顔にします。
施術家になるまでの自分私は小学校の6年間器械体操を習っていました。新しい技を練習している時に両手を怪我してしまってから、近くの接骨院に通ってました。先生の施術で両手の痛みがなくなっていき、器械体操を楽しくできるようになり、まだ小学生で小さかった私は魔法の手だとすごく驚き、感動しました。その後も練習中に怪我をしない身体づくりやパフォーマンスをアップさせるためにずっと先生に施術をお願いしていました。大会が近くなり不安になる私を励ましてくれたり、真剣に私の身体と向き合い施術をしてくれている先生の姿がとてもカッコよかったのは今でも覚えています。それから先生は私の憧れになりました。私も先生みたいになりたい、誰かを笑顔にできる職に就きたいと思ったのが、この職を選んだキッカケです。それから迷わず柔道整復師の資格がとれる専門学校に入りました。知識の勉強や実技試験は思っていた何倍も難しくて何度も心が折れそうになったけど憧れの先生を思い出して国家試験に向けてめげずに勉強をしました。今ではたくさんの患者様の施術に入り、患者様から笑顔でありがとうと言っていただけて嬉しいです。これからも一人一人の患者様に向き合って楽しくお話をしながら真剣に施術していきます。
新人・修行時代の自分この会社に入ってまず最初に行ったのが千葉での新人研修です。色々な県から何人もの同期が集まり、最初はすごく緊張していましたが一緒に知識や技術練習を行い、すぐに緊張がほぐれ仲良くなれました。慣れない街、慣れない環境で不安も大きかったですが、同期と優しい先輩方のおかげで楽しく研修を終えれました。千葉での研修が終わり新潟の院に配属となりました。また初めましての先輩方、新しい環境ですごく緊張でガチガチだった私を優しく迎え入れてくださりすぐに慣れていきました。先輩方の施術を実際に受けてさせて頂き、私にこんなことできるのか最初は不安でいっぱいでした。時間を割いて練習に付き合って頂いたり、勉強会をたくさん開いて頂きました。今でも勉強会を開いて頂き日々学び続けられる環境に感謝しています。負けず嫌いな私は積極的に勉強会に参加し、新しい知識や技術を身につけるのに必死でした。同期とはとても仲が良いのですが、良きライバルとしてお互いの成長に刺激を受けながら自分の成長に繋げられています。今後も勉強会に積極的に参加していき、知識の幅を広げ、技術力を上げていきます。そして一人でも多くの患者様をサポートしていけるよう、これからも精進していきます。
-
患者様の記憶に残る西区No.1の整骨院
- 武田 雅人(たけだ まさと)
-
出身地:新潟
血液型:B型
趣味・特技:テニス、ゲーム
資格:鍼師、灸師 - 地域のみなさまへ患者様一人一人に合わせた治療プランを提案させていただきますので、お身体のことで何かお悩みのことがありましたらぜ是非一度当院へご来院ください。全力サポートさせていただきます。
施術家になるまでの自分小さい頃から身体を動かすことが好きで、テニスを16年、水泳を8年、スキーを9年やっており、その他にも様々なスポーツに触れてきました。その中でもテニスをメインで行っておりましたが、高校生の時に肩を壊してしまい、肩が上がらなくなってしまいました。その時に「筋肉の痛みには鍼灸が効くよ」と教えていただいたことがきっかけで鍼灸院に通って治療してもらうようになりました。はじめは、鍼は痛くないだろうか、この痛みが本当に良くなるのだろうかなど半信半疑でしたが、どこの筋肉が痛んでいる、今はこのような状態だからこの治療をしていると一つずつ丁寧に教えてくれました。治療を行っていくうちに目に見えて効果があり、最初に感じていた不安もなくなっていきました。その後も治療を続けていき、高校を卒業する頃には肩が上がらず日常生活すら痛みで苦しんでいた状態から、またテニスができるようになるまで改善しました。大学に入学し、またテニスを始められるようになり自分の好きなことを思う存分できるというのはこんなに素晴らしいものなのかと感動したのを今でも覚えています。自分が感じたこの感動を今度は他の人にも伝えたいと思い、この業界を目指しました。
新人・修行時代の自分国家試験に合格して、現在の接骨院で働くようになりました。入社してすぐに千葉で100名を超える同期と一緒に研修を行い、技術の研修や接遇の研修を受けました。鍼灸師である私は鍼を使わず患者様の身体を治療していくことに慣れておらず、とても苦戦をして悩みながら研修を行っておりました。その時に助けてくれたのが同期の存在でした。同期の仲間と話をしていて同じ悩みを抱えている人や新しい疑問が生まれて、その問題を解決するためにたくさんの同期と試行錯誤を繰り返しました。同期と助け合いながら研修を行い、初めの頃に悩んでいたことが今では自分の強みになっています。その後、研修が終わり新潟へ配属され現場での仕事になりました。実際に患者様と向き合いながらの仕事となるため本社での研修とは違い新しい発見の連続でした。患者様は一人一人お悩みが違うため一日でも早くそのお悩みを解決できるように同期の仲間と遅くまで練習をして、わからないことは先輩スタッフに教わりながら成長していきました。私は鍼灸師として患者様に合わせて鍼でも自分の手でも治せるようなハイブリッドな治療家を目指し今でも日々勉強しています。一人でも多くの患者様のお悩みを解決できるように日々精進してまいりますので何かお悩みのことがありましたらお気軽にご相談ください。
-
患者様の記憶に残る西区ナンバー1接骨院
- 重川 拓臣(おもかわ たくみ)
-
出身地:新潟県上越市
血液型:O型
趣味・特技:バスケットボール
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへ私たちは、皆様のお身体に親身に寄り添って全力でサポートさせて頂きます。また、皆様がご来院しやすい環境づくりをさせて頂きます。お身体に関して困ったことがあれば、是非、新潟寺尾東接骨院へお越しください!
施術家になるまでの自分小学校の頃、バスケやサッカー、野球、水泳などさまざまなスポーツをしてきました。バスケットボールとは小学校3年生の時に出会いました。本当にバスケのことを考える毎日でした。そこから中学校、高校、専門学校と部活のバスケットボールに没頭する日々を過ごしておりました。 そんな中、高校3年生の春に足の怪我をしてしまいました。1ヶ月間ほど松葉杖をつくような怪我でしたが一刻も早く治したく、近くの接骨院を訪れたのがこの仕事をやるきっかけでもありました。 初めて行く所だったので緊張しましたし、初めて治療を受けた時は本当ひ緊張しましたが、整骨院の先生方はとても優しく、何度か通っていくうちに痛みがどんどん軽くなり、施術の素晴らしさ、身体のことだけでなく、親身に寄り添って心のケアもしていただいたことに感動しました。 その後は、いつしか痛みが無くなってスポーツのパフォーマンスも上がり、スタメンに戻ることが出来、次の大会でベストなパフォーマンスをすることが出来ました。 そんな経験もあって、バスケやスポーツに関わることをしたい、いつしか次は自分が困っている人の手助けをしたいと思い、高校卒業後、柔道整復師の専門学校に入学し、施術家を目指すことにしました。
新人・修行時代の自分施術家を目指す新人・研修時代の私は、この会社に入り多くの経験を積ませて頂くことが出来ました。特に、勉強会やセミナーへの参加や先輩方からいろいろな話を伺う事で知識を広げることが出来ました。 特に技術練習は毎晩先輩方に指導して頂き練習を重ねました。 厳しく、時に優しく指導してもらいました。 また、同期の数がとても多く、仲間であり良きライバルでもありました。その中で切磋琢磨することができ、ここまで来ることができました。 今の自分があるのは、沢山のことを教えてくれた先輩方や上司の先生、良きライバルであった同期の先生、学べる環境を与えてくださった社長、また、患者様のおかげだと感謝しております。 『患者様を治したい』『患者様の笑顔を見たい』『心の串を抜きたい』という気持ちで頑張ってきました。 これからも患者様の笑顔を見るため、辛い思いをしている患者様のため学ぶ姿勢と追求することを今後も続けていく所存です。 患者様が笑顔で帰って頂ける院を目指し、また、少しでも多くの人の辛さや悩みを解決できるよう、全力で施術をしていきます。 痛みや不調、お悩みを解決したいという方がいらっしゃいましたら、新潟関屋整骨院にご相談ください。全力でサポートさせて頂きます!
-
スタッフがすごく話しやすいので老若男女問わず通い頂けます!
- 五十嵐 駿世(いがらし はやせ)
-
出身地:新潟県魚沼市
血液型:O型
趣味・特技:古着屋巡り、ドライブ
資格:整体師 - 地域のみなさまへ自分が働いている院は地域の中で1番問診力、治療力、接遇力に自信がある院です!スタッフ自体もとても話しやすく会話をしてても楽しくなり、患者様の心のケアにも自信があります。
施術家になるまでの自分施術家になる前は研修前を含めて、自分の手だけで患者様を治療できる、治せる、身体に対する悩みを解決・取り除くことができるという点が魅力的だと思い、施術家を目指すようになった理由の一つです。もう一つの理由が部活で怪我をした時にお世話になったのが自分が今働いている接骨院業界でした。自分は学生時代勉強よりも部活に力を注いでいたので部活ができなくなるのはとても嫌でした。通っていた接骨院の先生から言われた言葉が「部活をできるようにしてあげる」という言葉でした。その時にこの先生に頼ろうと気持ちが強くなり、カッコいいと感じました。そこから自分は施術家を目指すようになりました。自分以外に部活で怪我をする人はたくさんいて、部活をしたいのに怪我をしてできない人もいると思います。怪我を治して部活復帰をさせてくれる接骨院の先生はすごいと思いました。完全に怪我前の状態までは行かなくても少なくとも部活をできるようしてくれた先生にとても感謝しています。自分もその先生みたいになりたいと憧れるようになりました。怪我じゃなくても、腰痛だったり首肩が痛かったりする人がたくさんいる中でその人たちを自分の手自分の力で治していきたいと思い、このケイズグループクラシオンに入社しました。
新人・修行時代の自分最初のうちは技術はもちろん、患者様の顔と名前を覚えられるように頑張りました。いち早く患者様を名前で呼べるように努力しました。患者様とコミュケーションを取る上で名前を意識的に呼ぶことで認知して頂けると思いました。なので最初のうちは施術に入るのが難しかったので上げる時やお会計の時、お見送りの時だけでも自分のことを患者様にも覚えて頂けると思い、名前を覚えることを心がけました。技術面では治療家として患者様の症状や悪い所を治せるように技術練習を毎日欠かさず行いました。自分は積極性に欠ける部分がほとんどなので自分から先輩に技術練習をお願いするようにしました。その行いのおかげで今の自分あると思います。また、自分は人と話すことがすごく苦手でした。なので最初は患者様とのコミュニーケションをすることが全くできずにいましたが、日にちが経つごとに徐々に患者様とコミュケーションを取れるようになり、今では患者様とのコミュケーションがだいぶ得意になっています。治療をする上で治すことはもちろん、患者様の身体の状態や治療会話もできるようになりました。患者様一人ひとり症状や状態が異なるので一人ひとり適したコミュケーションだったり、説明の仕方などに力を入れました。今までの下積みがあるから今の自分があると思います。
-
患者様の記憶に残る西区NO.1整骨院
- 山崎 海翔(やまざき かいと)
-
出身地:新潟県新潟市
血液型:A型
趣味・特技:釣り、畑、ドライブ
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへこれからも日々、努力を怠らず成長していけるように頑張ります。また、辛い症状で困っている方がご来院されて帰る頃にはここに来てよかったと思っていただき記憶に残るような治療させてください。
施術家になるまでの自分僕は小学生から中学生までずっとバスケットボールと卓球をやっていてよく突き指や打撲、捻挫など怪我をたくさんしていて家の近くにあった整骨院によく通っていました。通っていたところの先生はとても優しく丁寧で何回も怪我をして来る僕を明るく治療をしてくれました。そして高校に入学し、月日が経ち高校3年生の進路を決めなくてはいけない大事な時期、ギリギリまで目指したい職業が決まらず、ずっと悩んでいました。そんな日々を過ごしている時、家でたまたま着けたテレビに柔道整復師という人達が色々な現場で活躍しているCMを見ました。その時、子供の頃にお世話になっていた先生のことを思い出しました。僕は小さい頃、怪我が多かったので自分を治してくれた先生のように小さい頃から誰かを直してあげたいと思い腰を痛めている母にマッサージや身体を痛めた友達にストレッチをすることが大好きでした。なので、柔道整復師という職業を聞いて「これだ」と思いました。そこから、柔道整復師の資格が取れる学校に入学し資格を取るために勉強を続けてきました。ですが、人の身体を細かく知ることは難しく苦戦してました。ですが、マッサージやストレッチをやった際の感謝してくれた人や温かい言葉を言ってくださった方のことを思い出し勉強を頑張り施術家を目指しました。
新人・修行時代の自分新人、研修時代の僕はここで働くまで1回もアルバイトなど社会経験をしたことがなかったので本当に働いていけるのか不安でした。研修も新潟ではない他県で3週間ホテルに泊まりながら行う研修だったので1人でやっていけるのか心配でした。研修初日は研修先がわからず初日から少し遅れてしまいました。そして、もともと人見知りがありたくさんの同期がいる中、なかなか声をかけることができずこの先やっていけるのだろうかと思いました。ですが、勇気を出し声をかけてみるとみんな優しく、話をしていくうちにどんどんいろんな人と仲良くなっていました。技術練習が始まると指はとても痛くなり覚えるのが遅い僕はみんなと差が開いていくのを感じました。ですが、負け時と仲のいい同期と練習後も技術を教えてくださる先生を捕まえて自主練習や同期同士でフィードバックを行いこれ以上、距離が開かないように努力しました。研修最終日には技術試験があり自主練習などもあり無事に試験に合格できました。新潟に戻り現場に行ってみると研修以上に覚えることが多く教えていただいても理解がすぐにできず何回も繰り返し迷惑をかけていました。先輩たちは優しく何度も教えてくださり少しづつ覚え先輩に聞かなくてもできるようになりました。研修や先輩たちが丁寧に教えてくださったからこそ今が楽しく働けている証拠だと思います。
-
患者様の記憶に残る西区No.1接骨院
- 細川 大(ほそかわ だい)
-
出身地:新潟県五泉市
血液型:A型
趣味・特技:ライブツアー巡り、献血
資格:柔道整復師 - 地域のみなさまへお身体のお悩みはなんでもお聞かせください!患者様それぞれに合わせた治療はもちろん、自宅で出来るセルフケアから赤ちゃんの抱っこまで、なんでも対応できる接骨院なので、いつでも誰でもお気軽にお越しください!
施術家になるまでの自分私は小学1年生から高校3年生まで水泳をしていました。水泳自体は他のスポーツと比べると比較的怪我の少ない競技なのですが、陸に上がった途端に運動音痴になる私は学校の体育の授業でよく怪我をしてしまっていました。本業の水泳に力を入れたくても怪我で何もする事が出来ない、そんな時に身近にあったのが接骨院です。僕の両親は鍼灸師で、さらに父親は柔道整復師の資格も持っています。怪我をした時は親が開業している接骨院で電気を流したり、酸素カプセルに入ったりしてケアをしてきました。怪我を治す為に親の接骨院に出向く日々が続く中で、昔から接骨院に通ってくれている沢山の患者様が開院前の朝一から並んで井戸端会議を始めていたり、開院してからも沢山の患者様が地域の集会所のように集まってくる姿を見てきました。そんな接骨院の姿を見た時に、高校3年生の秋まで将来の夢がなかった自分の中で、怪我を治す場所でもあり、地域のコミュニティの1つにもなることの出来る接骨院を作りたいと1つの夢ができました。今働いているこの接骨院は赤ちゃんからお年寄りまで、幅広い患者様がきてくれる明るく騒がしい院になってきているので、ぜひ皆様も気軽にご来院ください。
新人・修行時代の自分この会社に入社して、まず最初に行ったのが本社のある千葉での研修です。北は北海道、南は沖縄の日本全国から集まった200人以上の同期と、技術、接遇について3週間研修を行いました。元々人見知りな私は、慣れない街、慣れない環境、見知らぬ200人の同期という不安しかない状況で働き始めました。ただ、「患者様に良くなって貰いたい」と共通認識を持っているから同じ会社に入社した沢山の同期達との出会いが人見知りな自分をオープンな人間に成長させてくれました。同じ柔道整復師である同期だけでなく、鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師の同期、トレーナー経験のある同期など、自分にはない知識を持った同期との支え合いのお陰で、より患者様に良くなってもらえる為の知識を身につけた研修でした。その後は新潟に本配属として戻ってきて今の接骨院で働いています。いざ現場に出てみると今までの同期との研修とは違い、実際の患者様と向かい合って施術をする事になります。一人一人お身体の悩みも違えば年齢層も違って、研修で習ったことだけでは対応しきれないという壁にぶつかってしまいましたが、患者様それぞれに合わせた施術方法を先輩から教えて貰ったり、定期的に開催される院内の勉強会に参加したりして技術を少しずつ定着させていきました。今では沢山の患者様の施術を担当させて頂いていますし、まだまだ勉強を続けているので、ぜひお気軽にお悩みをお聞かせください。
-
心に寄り添う
- 伊東 涼華(いとう りょうか)
-
出身地:長野県長野市
血液型:A型
趣味・特技:スポーツ観戦
- 地域のみなさまへ患者様の一番の悩みである「痛み」を少しでも無くす施術家・心から寄り添う施術家になれるように、日々取り組んでまいります。まだまだ未熟ですがよろしくお願い致します。
施術家になるまでの自分私は、4歳から約19年間柔道に取り組んできました。柔道はとても怪我の多いスポーツですが、小学生では大きな怪我を経験することなく、接骨院に通うことはありませんでした。中学に上がり、レベルも上がったことで怪我を多くするようになりました。高校では、練習中の怪我が絶えず、試合前は万全で挑めた記憶がないくらい、多くの怪我で苦しみました。高校の近くの接骨院に毎日通い、怪我をして落ち込む私に寄り添い、心の面でもサポートしてくれた先生みたいになりたいと強く思いました。高校卒業時には諦めていた夢でしたが、時間が経ち、諦めきれずに専門学校に通うことを決めました。自分が経験したように、痛みがないってこんな幸せなんだ!と怪我で悩んでいる方に知ってほしいと強く思い、施術家を目指し始めました。専門学校に入ってからは、解剖学や生理学など一から覚えることが多く、また科目も多く、とても苦労しました。しかし、周りの仲間や、先生方のサポートもあり無事、専門学校を卒業することができました。ケイズグループに入社してからは、同期のみんなと技術練習はもちろん、その他にも接遇や受付業務の事を多く学び、少しずつできることが増えていきました。
新人・修行時代の自分4月に入社し、3週間全国各地から集まった同期と研修を行いました。最初は、初対面の多くの同期と仲良くなれるのか、技術はしっかり覚えられるか、不安でいっぱいでした。しかし、初日で地方組と仲良くなり、技術練習では色々な人とペアになり、色んな身体で練習することによって学ぶことも多くありました。3週間で沢山の事を学ばせて頂き、とても感謝しております。新潟に帰っても関東組とも連絡を取り合い、勉強会の内容や動画を共有し合いました。配属先が決まり、新潟での勤務が始まってからは、昨日できなかったことができる様になったり、逆に昨日できていたことができなくなったりと、波があることで嬉しさと悔しい思いや、できなくなっていたらどうしようという不安も多くありました。しかし、先輩方が毎日声をかけ、技術練習を受けて下さり、フィードバックを頂いて、心折れずにここまで来ることができました。患者様の施術に入らせて頂いてからは、患者様とのコミュニケーションが増え、その中から学ぶことも沢山あり、楽しく施術が出来ています。これからも初心の気持ちを忘れず、患者様から、「痛みがなくなって幸せ」と思っていただける様に日々学んでいきます。
-
地域でここしかないと言われる接骨院。
- 土井 皓太(どい こうた)
-
出身地:新潟県佐渡市
血液型:O型
趣味・特技:アニメ鑑賞、ゲーム、食べること - 地域のみなさまへ足や腰の痛み是非ご相談ください。一緒に緩和しませんか?今まで佐渡で過ごしたため本土のことが曖昧なので、皆さんのおすすめの食べ物や場所などなど教えてください!
施術家になるまでの自分中学生のとき、陸上部に所属しており、そのとき膝や足首を痛めた経験がありました。その当時は湿布やアイシング等で応急処置をしていましたが、ある時急に痛みが強くなり、そのとき初めて整骨院に行き、そこで施術を受け今まで全然良くならなかった痛みが軽減したことに感銘を受け、そこで初めて柔道整復師という存在を知ると同時に憧れを抱きました。そこからよく整骨院に通うようになり、興味をもちました。その後進学先に悩んでいた時に当時の高校の担任から新潟柔整専門学校への進学を勧められ、オープンキャンパスに行き、新潟柔整専門学校の雰囲気を知れ、進学を決意しました。新潟柔整専門学校へ進学してから、中学や高校とは全く違う科目に四苦八苦しながら取り組み、苦手な実技や座学に励みました。実技が苦手だったため、実技の試験で思うような結果を出せず、先生や友人から教えて貰いながら、努力していき、試験に合格していきました。3年時の、認定実技試験では時間内に全工程を完了させないといけない点や、細かな施術動作と共に説明をしないといけないことで上手く行かず、友人や先生方に協力してもらいながら日々練習し、講義の前の時間等で先生に相談したりすることが多かった思い出です。支えて貰えたお陰でここまで来れたと思うと感謝の念でいっぱいです。
新人・修行時代の自分千葉県にて研修していた際に、同僚を誘って現場にて指圧の練習を重点的に行っていました。しかし、次の本社研修の際に、ストレッチの練習にて、あまりストレッチの練習をしていなかったため、周りと大きく差が着いていました。その後から指圧とストレッチを同時並行で練習していました。練習の際は先輩方や同僚からアドバイスを貰い、練習を重ねたことでちょっとずつ上達していきました。患者様の対応で忙しい中、時間を作って教えてもらったり、体を貸して頂き、基礎を教わり、さらに指圧の圧の弱さで悩んでいた時に改善方法を教えて貰いました。その後新潟県に戻ってからはより細かいアドバイスや見本を見せて貰ったことで、一気に上達し千葉県での練習よりも成果や成長を感じました。ダメなポイントや左右での差に大きく悩みましたが、それでも丁寧に教えてもらい、圧の調整や位置関係の悪さ等の改善点を教えて貰い実際に試すと教えて貰った後の方がやりやすくちょっとずつ成長していけました。教えて貰っているなかで、研修の時に聞いたことが当時は全くわからないというものが、先輩方に教えて貰っているうちに理解したことも多くありました。忙しい中で、ちょっとした時間で練習に付き合って貰っているのでいち早く役に立てるようにしていきたいです。